トウホクビジンを振り返る(2)


通算12走目:2009年2月26日梅花特別(A2)(笠松競馬場)
 東北を離れたトウホクビジンだが、新天地でもひとまずはうまい具合にやっていた。ホースケアらしく中央の特指競走(地方馬の出走手当は半額だが、それだって20万円も出るんだよ!)を2走しつつ、その間に名古屋の古馬B級戦で楽々の逃げ切りその素質を見せてみせる。移籍後4戦目にして初の地元となった梅花特別(A2)では勝ったエーシンアクセランから2秒離された4着だったが、これはスタートで大きく出遅れてしまった不利が響いてのもの。むしろレースを見る限りはいったいいつの間に4着まで?といった感じで、これによりそれまでの逃げ一辺倒以外の脚質も試す価値がある、と陣営に認識させたのは大きな収穫だった。のちのちビジンの十八番となる、死んだふりからの追い込み戦法が生まれるきっかけとなったレースといえるだろう。

トウホクビジン・ライバル馬列伝 No.3 エーシンアクセラ
 2013年5月22日現在98戦37勝、主な戦績は10年サマーカップ(SPⅢ)、09年マーチカップ(SPⅡ)2着など。父アフリート、母エイシンカトリーヌ(母父マルゼンスキー)、半弟に中央準OPを勝ったエーシンビーセルズ(父サクラバクシンオー)、近親に04年の兵庫ダービーを勝ち晩年は高知で走っていたホクセツガーデン、00年の京浜盃(G1)を勝ったアイアイアスリート。父母父Venetian Jesterとマルゼンスキーの母シルとの間に、美しいトムフール×プリンスキロの半血相似クロスが成立している。栗東・湯浅三郎厩舎からデビューするも2戦連続二桁着順と結果を残せず、しかも2月に名古屋の交流戦で3着した後は長期休養に入ってしまう。結局、秋の阪神開催で1走したのち笠松・伊藤厩舎へ転厩することに。しかしここで逃げる競馬を覚えると素質が開花したようで、強い競馬を続けてA級格付けまで叩き上げていった。東海クラウンC(毎年秋〜春に複数開催される笠松のオープン競走)6勝を始め長らく笠松A級の有力馬として活躍したが、11年6月に乗鞍短距離特別(A2)でビジンに敗れてからは長期休養へ。復帰後はそれまでの粘りに陰りが見え、不本意なレースが続いている。

 実際、シルバーウインドが勝った次走のスプリングカップ(SPⅡ)では、8番人気もなんのその。前走より早めに動いて鋭く捲りこみを仕掛けると、のちにこの年の園田ダービー馬となるカラテチョップを突き放して3着と健闘。そして福山競馬場へ移設された若草賞に遠征すると、2着のバージンサファイヤに1秒近い差をつけての大楽勝で初の重賞制覇を果たした。これにより、ビジンは一躍東海クラシック戦線の有力馬の1頭へと名乗りを上げることとなる。

通算13走目:2009年3月5日 第34回スプリングカップ(名古屋競馬場)

トウホクビジン・ライバル馬列伝 No.4 カラテチョップ
 15戦4勝、主な勝ち鞍は08年兵庫若駒賞、09年菊水賞、09年兵庫ダービー。父スキャン、母マイネリーベ(母父コタシャーン)、近親に00年のグランシャリオカップ(GⅢ)や03年の群馬記念(GⅢ)を勝つなどダート交流重賞戦線で活躍したマイネルブライアン、同じく03年のフラワーC(GⅢ)を2着し名古屋優駿(GⅢ)にも遠征した(1番人気3着)マイネヴィータがいる。名前とは裏腹に圧倒的な力は見せないがどんな相手でもしぶとく走る馬で、2歳時は認定競走と兵庫若駒賞を含め4戦2勝2着1回3着1回。3歳の始動戦となったスプリングカップでは4着と躓いたが、兵庫3冠の一つ目・菊水賞ではゴール前で前を行くキヨミラクルを鈍く捕らえて1着。続く兵庫CSでも4着のケイアイテンジンから10馬身離されたとはいえ地元勢最先着を確保すると、兵庫ダービーは一転、後ろから迫るキヨミラクルをなんとか振り切る展開で見事二冠を達成した。その後も黒潮盃(SⅡ)でツクシヒメの3着するなど全国区の実力は見せていたのだが、不思議と地元で4戦して一度も勝てず。10年の佐賀記念(Jpn3)で0.6秒差の4着をした後は長期休養に入り、2012年9月道営で復帰したが5着。その後は未だ出走がない。

トウホクビジン・ライバル馬列伝 No.5 シルバーウインド
 46戦17勝、主な勝ち鞍は09年スプリングカップ(SPⅡ)、09年秋桜賞(SPⅠ)、11年新春盃(SPⅡ)など。父サウスヴィグラス、母ブロンディー(母父シャルード)。このご時世の地方競馬には珍しく母も同じ馬主所有で名古屋競馬を走っており(13勝)、半妹にもやはり名古屋競馬で走ってB級のスージーキュー(父マイニング)、ジーンジニー(父ステイゴールド)がいる。そのほか近親としては、元兵庫A級のピーターサムくらいか。宇都英樹騎手を背に2歳時から堅実な成績を残し、一冠目の駿蹄賞(SPⅠ)では1番人気に支持されるも4着。以後もトップレベルには一歩及ばない成績が続くが、それでも秋の秋桜賞(SPⅠ)ではダイナマイトボディに雪辱。2010年から始まったGRANDAME-JAPANにも積極的に出走しシリーズ5位の成績を残すなど、安定した走りを見せた。


通算14走目:2009年3月20日 第7回 若草賞(福山競馬場)

トウホクビジン・ライバル馬列伝 No.6 バージンサファイヤ
 38戦6勝、主な勝ち鞍は09年のじぎく賞など。父クリプティックラスカル、母オギサファイヤ(母父ディカードレム)。華麗なる一族の末裔に当たり、近親に08年の栄城賞(KJ1)を勝ったオリオンザナイトがいる。デビューからの連勝で望んだ兵庫ジュニアグランプリ(Jpn.2)で5着すると、年明けの園田クイーンセレクションを制覇。これで期待されたのか、園田ユースC(4着)を挟んでブエナビスタが勝ったチューリップ賞(GⅢ)へと遠征するも、ブービーと結果は出せなかった。その後はのじぎく賞を勝ったほかはザッハーマインTCKディスタフ(SⅢ)で5着に突っ込んできたくらいで、晩年は南関に移籍してはすぐ兵庫に出戻ったり、中央1000万下でも走っていた。