忘れられた競馬雑誌『競週地方競馬』を読む(5)

(f)新参加馬の横顔(プロフィル)
 新参加馬と言ってもこの場合は新馬ではなく、中央競馬を含めた他地区からの転厩馬のこと。当時の南関東競馬の賞金水準は中央競馬と伍する水準であっただけに、その中には中央オープンでの実績馬や、東海や園田、岩手など各地でそれぞれチャンピオン級を張っていただろう戦績の馬もちらほらと見られる。意外なようにも思われるが、この頃から公営各地区の転厩はわりあいフットワークが軽かったらしい。他地区のレース結果など知ることが非常に困難だった時代だけに、転厩直前の戦績や近況を紹介するこのコーナーは、馬券戦略においてもたいへん有益であっただろう。おそらく、毎号欠かさず掲載されていた記事の中でも、かなり手間がかかっていたはず。『昼夜通信』には当時関西支社が存在していたので、そちらでも情報を仕入れていたのだろうか。一度だけ、「関西支社」クレジットの記事が『競週地方競馬』に掲載されたこともある(1961年10月号「消えていく関西の公営競技場」)。

 ちなみに、このコーナーには当月分の開催成績表と引き替えられる「付録引換券」が毎号一緒に載せられていた。競馬場の新聞売店で引き替えたのだろうか。今でもどこかにやって欲しいサービスだが、ネット新聞や電話投票がこれだけ普及した現在となってはかえって難しいか。

(g)ゴンドラ・私の競馬スケッチ・ターフ手帳
 「ゴンドラ」は1962年中に掲載が始まり、1964年8月号まで続いた投稿コラム。執筆者が東京タイムスやデイリースポーツなどに所属する競馬マスコミ界隈の人間なのが特徴で、業界への提言から随筆的なものまで内容も幅広い。元々コーナーの趣旨としては読者からの投稿だったようだが、投稿が少なかったのか身内で原稿を依頼する事態となってしまった。実は一度だけ「読者の声」コーナーが設けられたことがあるのだが(1961年3月号)、そちらも一般読者よりは記者からの私信のような投稿が多く混じっていた。

 そしてゴンドラに寄稿しており、『競馬週報』では連載を持っていたこともある高橋哲郎・谷口利之による交代制のコラムが「私の競馬スケッチ」。1969年1月号から「東西南北」に代わる形で連載がスタートし、1970年1月号から高橋哲郎の単独連載「ターフ手帳」へと名称を変更している。内容は時事的なものを核に話を膨らませていく、じつにオーソドックスなもの。

(h)この人と1時間
 特定人物とのインタビュー記事かと思いきや、内容はどちらかというとその人の経歴や意気込みを一方的に語るの形式を取っている。その相手も、各公営競技を主催する自治体の管轄部署の管理職が中心。おそらく、着任時の顔見せの意味もあって設けられたコーナーなのだろう。さきに取り上げた「ゴンドラ」の寄稿者面々と併せて、ここからこの雑誌の読者層がそれとなく窺える。書かれている情報は家族構成や出身地、学歴、これまでの職歴好きな食べ物までじつに詳しい。良くも悪くも、個人情報についておおらかな時代だったようだ。ちなみに、初期には元ジョッキーなどがこのコーナー名でインタビューに応じていたり、一号に2個掲載されていることもあった。わりと自由のきく、誌面の帳尻あわせにちょうどいい記事だったのだろうか。

(i)わたしは地方競馬ファンです
 内容が面白いわりに短命な連載で、1967年4月号から同年12月号までと1年ももたなかった。売上の急増に伴いギャンブル渦への批判が増えてきた時勢に、敢えて芸能・スポーツ・政界など様々な分野から地方競馬ファンないしは馬主を見つけ、インタビューを試みるというもの。といっても、あの時分に「地方競馬ファンである」と宣言するのはなかなか勇気のいることであっただろうし、そもそもコアな地方競馬ファンと関係者しか読まないこの雑誌に掲載したところで……それでいてそこそこの大物に突撃を敢行しているので、相応にギャラを払わなければならなかったはず。早期打ち切りの原因はこのあたりにあったのか。聞き手の質問がやや単調なのも難点であり、「南関東4競馬場をそれぞれどう思うか」「アラブとサラブレッド、どちらが好きか」「貴方流の馬券述は」「競馬は社会悪という見方もあるが」とこのあたりは、毎回定番でなされる質問だった。

 インタビューの相手の中で大物というと、まず参議院議員平井太郎(香川出身、56〜57年郵政大臣)。彼は中央・地方問わず馬主として活動しており、多数の競走馬を所有していた。川崎から中央へ移籍して天皇賞宝塚記念を勝ち、アメリカのローレル賞へ遠征したタカマガハラもその1頭である。さらには、多くの弟子を養成し中原誠永世名人の師匠として知られる棋士高柳敏夫名誉9段(当時は8段)の名も見られる。だが一番面白いのは9月号、中日ドラゴンズ・江藤愼一(首位打者3回)へのインタビュー。初っぱなから「いやーあ、競馬のことはよくわからんなあ、ワッハッハ」で始まり、「最近はずーっと競馬場に行ってないなあ」と続くのだから聞き手も読み手もたまらない。いったい、どういう事前調査で相手を選んだのだろう。ちなみに、江藤選手の馬券術は「人の意見は全く入れないで買う。自分の背番号が8だから、大井の8枠制のレースには、8を搦めて買うことが多い」とのこと。まあ、それでも十分に楽しめる(?)のが競馬のよさというもの。記事にする方は困っただろうが(笑)。

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<参考画像>

・1961年2月号の「新三冠馬のプロフィル」

・役所関係者以外を取り上げた「この人と1時間」の中でも異色の、天間三之助調教師の記事。中央に転厩して1958年日本ダービーを勝ったダイゴホマレの大井時代を管理するなど、名伯楽として鳴らした。

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