忘れられた競馬雑誌『競週地方競馬』を読む(6)

(j)ひづめの声
 田辺一夫による連載。1964年11月号から掲載が始まった、時事的な事柄を考察していくなんの変哲もないコラム記事。だが、直後に後述の「アラブ系牝馬血統大鑑」の連載が始まると、さすがに2本は辛かったのかなし崩し的に終了した。

(k)アラブ系牝馬血統大鑑
 『競週地方競馬』が競馬界に送り出した最大の財産が、この田辺一夫による「アラブ牝馬系統大鑑」であることは間違いない。1965年3月号から25回に渡って掲載されたこの連載は、アラブ、アラ系、準サラ、濠サラといった非サラブレッド種の基礎牝馬200余りをファミリー・ライン=系図として整理し、そのひとつひとつに解説を加えていくという大仕事である。雑誌としても、そして白井新平個人としても、この仕事を高く評価していたのだろう。系図を収録する関係上毎週10頁以上のスペースを取っており、毎回「○大特集」の一角に必ずあげられているという後押しっぷりであった。

 この連載を始めるにあたる所信演説として、田辺一夫は以下のような言葉を遺している。

 血統を知ること、これは競馬の社会では必要であり、競馬社会にもその道の大家、神様はいる。しかし、その多くはサラブレッドの血統についてである。つまりアラブ系統馬については、顧みない大家、神様もいる。ところが、サラブレッドを中心とする、いずれアラブ系レースは放逐するといきまいた中央競馬でも、まだアラブ系レースを切り捨てるまではいかない。地方競馬に至っては、逆にアラブがその主役であって、サラブレッドは少ない。関西で誇る園田競馬は、完全にサラブレッドレースを全廃している。南関東でさえ、そのレース数は、アラヴ系レースの3割に過ぎない。農林省軽種馬の統計に拠れば、日本全域において、サラブレッド系が2251頭、アラブ系が5800頭で、サラブレッドの頭数は4割にも満たない。
 たしかにサラブレッドが主体は高度のレースをしており、最近は年々、サラブレッドの生産頭数は増加しているが、それでも、日本の軽種馬過半数を占めるのは、これからも、かなり長い年月が必要であり、おそらく20世紀中には実現しそうにない。このことは、サラブレッドのみの血統を知悉したところで、日本の競馬という観点からすれば半可通であることを意味しないだろうか。
(中略)いづれにしても、いま、アラブの牝系統図を、なんらかの形で本に遺しておかなければ、おそらく後世、まったく手のつけられない破滅状態が到来するだろう。誰かがやらねばならないのだ!

 誰かがやらねばならぬ。この使命感によって、田辺は週に一回の当直の傍ら資料の整理に没頭し、10年の月日を経てやっとこの地道な仕事を成し遂げた。その作業量の膨大さ、は想像を絶するものだっただろう。連載は1967年5月号をもって完結し、即座に翌6月刊行される。当時としてはかなり高価な定価5000円(予約者は4500円)という値段にもかかわらず、その後に掲載された広告からは初版本が無事に完売したことが確認できる。おそらく、馬産地を中心に反響は大きかったに違いない。その後こうした体系的なアラブ牝系本が出なかったこともあり、現在も古本屋で相応の価格で取引されているほか、Gate.Jの図書コーナーのも置かれている(おそろしくぼろぼろだったが……)。またweb上でアラブの血統を語っているサイトの参考文献表でも、まず必ずこの本の名は上がっているといってよい。田辺氏の素晴らしい作品は、後世までしっかりと伝えられているのである。

 もっとも、アラブ血統を確立させるという田辺の思いもむなしく、その後のアングロ・アラブ血統といえば決まって血統の確かさを危ぶませる黒い噂「テンプラ」の影がつきまとう。そして彼の「サラブレッドが過半を占めるのは20世紀中には不可能」という言葉の方も、20世紀末にはアラブ系競走へ死亡宣告が突きつけられ、新世紀に入って10年で中央はおろか地方競馬からも姿を消してしまうという哀しい結果に終わるのだが……

 その後も田辺名義の記事は馬産地セリや地方の競馬場レポートなどに散見されるが、『競週地方競馬』も末期に入る頃、ふたたび血統に関する連載を持つ。それが次で取り上げる「サラブレッド・ファミリー」なのだが、この連載には不可解な謎が存在している。

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<参考画像>

・上で引用した連載第一回の記事

豪サラ牝馬の牝系図

・『アラブ系牝馬血統大鑑』の刊行に際して掲載された広告

・白井新平による刊行版の序文。なお、この文章は南関東競馬の生き字引的存在だったメルボルン2世氏のブログに引用されている。『競週地方競馬』本体への言及もあるかと思いきや、こちらは『ダイジェクト』の方のみ。自分が知る限り『競週地方競馬』への言及は、広いネット空間の中でも南関診断士氏のこのエントリだけである。2005年には白井新平・透親子を取り扱った本も出ているが、『競週地方競馬』には不自然なほど触れられていない。

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