カイロスと福山競馬場の思い出

 競馬場の廃止まで、残り2週間開催4日分を残すだけとなった福山競馬場の特観席。一番奥まったところにある来賓・馬主席で、ある初老の老人がテレビカメラを向けられインタビューに応じていた。曰く、「いやぁ、これはまあ、ひとつの文化ですからねぇ。残ってもらいたかったんですが、残念です」

 福山競馬場はどこまでも、福山という「マチ」の戦後を体現した競馬場だった。夜勤明けの不健康な高揚感をカップ酒2本で紛らわせ、東海道線山陽線を鈍行で延々と揺られること十と数時間ばかり。ようやくたどり着いた福山駅の周りには、往時の繁栄を偲ばせる思い出ばかりが遺されていた。改札を出て左手には、道をたった一本挟むだけでかの福山城の石垣がそびえている。反対川のバスロータリーをもう少し進めば立派なアーケードの商店街が見えてくるが、シャッターを開けている店は100年近く前の創業年をのぼりに掲げる老舗の定食屋ぐらいのもの。その向こう側にもなかなかの規模の繁華街が広がっているのだが、やはり陽が落ちてもネオンが光る店は多くない。点々とぎらついた道路沿いに、キャバレー・ピンサロの客引きだろう黒スーツばかりが、下手するとタバコをくわえつつぽつんぽつんと立っているのがじつに場末である。そもそもが街の観光資源である鞆の浦からして、かつては汐待ちの港として栄えたにしろ今となっては寂れた一介の漁村に過ぎない。向こうに島を配した瀬戸内海の情景はたしかになかなかであるが、それよりも手前の湾内に引き上げられた小舟、もはや先祖伝来の商売も定かでない屋根の高い邸宅らの、取り残されたような寂しさの方が胸を打つ。こうした「むかし」はそこそこに、週末ごとに自家用車でイオンに乗り付ける21世紀的ニッポン郊外文化が隅々にまで浸透し、福山駅前に店を構える金券ショップでは、赤い太ペンで以下のような文言が踊る。「超特価!新幹線回数券 広島〜福山片道3400円! 福山〜新大阪片道6600円! 福山〜東京片道15900円!」

2013年福山ダービー。

交通費を圧縮し馬券で大勝負、そして外す。薄桃色の透かしは福山市のシンボルマークで、名産のバラをあしらったもの。福山競馬でも毎年シーズンになると「福山ばら祭」の協賛競走を行っていた。
 しかし、そんな競馬場にだってイキのいい若駒たちはいた。全国の競馬場でも最後までアングロ・アラブで番組を編成していた福山がサラブレッドを導入して以来、アグリヤングにアグリノキセキ、クーヨシンとムツミマーベラス。世代のトップを取った馬は何頭も現れてきたが、古馬との対戦や他地区への遠征では高い壁にぶつかっている。それでも、正真正銘最後の福山期待の星を、しっかりと送り出してやりたい。そんな思いが事務方にあったのかは知らないが、廃止前にダービーと若草賞――3歳牝馬限定重賞――を前倒して行うという、じつに粋な計らいが実現した。このレースを走った人馬全てが、一週間後には新天地を探して旅立たねばならないものばかり。その中で最後の福山ダービー馬の称号を勝ち取ったのが、ここまで15戦13勝2着1回、唯一の大敗は園田での統一グレード競走のみというカイロスだった。そして2着には、思い切った後方待機を取ってササる悪癖が出たカイロスに最後まで迫ったイワミノキズナ。この両頭はレースののち、予定されていた通りに南関東へと転出していく。

パドックでのカイロス。鞍上の楢崎騎手も福山組、三村(体調不良で引退)や佐原(実家のある高知へ再移籍)の分も南関東で奮戦中。
 あれから早くも1年あまり。本日の大井競馬では、レースは違えどもこの二頭が同じ一日に須賀型を見せた。イワミノキズナはメイン前の特別戦に出走すると、今回もいい末脚を披露し見事な1着。秋口からの休養明けとなったカイロスの方は、A2B1混合とはいえ初のA級戦。その中でも3着とまずまずの成績を確保している。どちらも、激戦区・南関東で福山の名をしっかりあげているといえるだろう。カイロスは「福山出身の馬」という話題性からか人気の方も上々で、重賞への参戦を心待ちにしているファンもいるとかいないとか。

 カイロスにせよ、イワミノキズナにせよ、競走馬としての実力でいえば中央競馬の1000万下に上がれるかどうかという水準の馬である――当時の福山に入っている若駒の値段からすれば、それも十分に「アタリ」なのだが――。それがある競馬場のファンや関係者から大いに愛され、競馬場がなくなってからもその看板を背負って声援に応え力一杯レースを走る。このような物語が成立しているうちはまだ、日本の競馬もそんなに捨てたもんじゃない。

2014年2月6日紅梅賞。勝ったサチノシェーバーも廃止された荒尾で新馬デビューという変わり種。

ナイターでも年々客入りが悪くなる大井競馬場だけに、冬の昼間開催はなおさら外に人影は少ない。このスタンドも近々よりコンパクトな形に建て替えられる予定だとか。