的場文男、35000戦6500勝の夜のこと

 8月末の川崎ナイター競馬も、いよいよ開催最終日。連日続くゲリラ豪雨はこの日も好き放題に水たまりを馬場へと遺していき、それを馬の蹄が蹴散らすたびにますますぬかるみが深まっていくのが聞こえてくる。それでも、さすがに夏至を一月も過ぎれば日の暮れるのはいくらか早くなったようだ。それに少し前までなら当たり前だった、雨上りのうだるような蒸し暑さもすっかり影を潜めている。ナイター競馬が肌寒く感じられる季節が来るのも、そう遠いことではないのだろう。5時過ぎには場内照明が点灯した場内は早いうちから盛況で、予想屋もだいたいが営業中。さらにはなにかキャンペーンをやっていたらしく、普段はいないビール売りのコンパニオン嬢らの姿も見えた。といっても、そこらのイベントでいるような若々しい雰囲気とはひと味違う。TPOをわきまえた、じつに気怠るそうな調子で営業の声をあげているのがとてもよろしい。かと思えば、子連れのまだ若い母親連たちが、パドックの柵を乗り越えようときゃっきゃしている子供を声を上げながら追いかけていく。ふと、同意併売の名古屋最終に食らいついていた灰色の親父たちがざわざわっと沸き、そして「あーあ、やっぱぁ、名古屋は固すぎんや」と捨て台詞を吐き散っていった。夏の終わりの競馬とは、かくも味がある情景である。

 さて、パドックの端で胡椒が過多な名物コロッケをかじる私の前には、一人の女性が陣取っている。歳はおそらく30代には届いておらず、長い黒髪に落ち着いた色合いのワンピース。いわゆる「サブカル」ちっくな雰囲気のなかなか美人だが、その手には立派な一眼レフカメラが握られていた。失礼ながら場違いとも思える雰囲気の彼女が、パドックで周回中の馬を楽しそうにバシャリバシャリとやっているのが面白いので眺めていると、そのレンズがさっと、パドックのさらに奥へと向けられる。どうやら、お目当ては同じらしいな。

 川崎競馬第4競走、C3の一組二組戦、発走まであと約15分ほど。本馬場入場を前にして、騎手達が一列に並んでお辞儀をするいつもの光景だが、その中に35000回目のお辞儀をしている男がいる。「大井の帝王」的場文男、御年56歳にしてここまで通算6499勝。先の地元・大井開催での節目の勝利達成とはならなず、ここまでの川崎競馬も緊張からか流れの悪い取りこぼしがちらほらと。それでも前日にようやく今回開催初白星を挙げ、今日最初の騎乗となるこのレースは記録への期待がファンの間でも広がっていた。実際、ここは3走前に完敗した馬との再戦であるにも関わらず、単勝オッズは早い段階から1倍台前半でべったり張り付きっぱなし。かくいう私もこの記録達成へのミーハー根性から、普段なら南関4場の中でも一番足が遠い川崎競馬場までやって来たのだった。

 とにかく、馬場状態は不良馬場中の不良馬場。基本的には泥をかぶる可能性が高い内枠・差しが不利なのだが、うまい具合に展開が嵌まってくれた。やや出足がつかなかった分楽に外に持ち出すことができ、3コーナー半ばから追い出し始める。もはや説明不要の「文男ダンス」で突き動かされて先頭に躍り出ると、そのまま後続の追撃を振り切った。右手が少し挙がるとぐっと握られ、控えめながらも喜びを表しているのが見て取れる。スタンドのそこかしこからも、その名を叫ぶ声があがった。というか、私は気づいたら叫んでました。ゴール前の2階にいた糞眼鏡は私です。ろくに馬券を買ってないくせに、常連さんらごめんなさい。

単勝馬券1.6倍也。南関東は中央と違って「応援馬券」こそないが、その分騎手名がしっかり印字されるのでこういった場合は都合がよい。
 そして10R終了後、めでたくもウィナーズサークルで記念セレモニーが開かれた。花束贈呈役は、通算7151勝を挙げた日本歴代最多勝騎手である佐々木竹見御大。ぐるりとファンに囲まれた文男はどうにも照れくさそうに笑っていて、「歳ですが、もうちょっと体の続く限りは」と繰り返し謙遜して答えていたのが印象的だった。なるほど、確かに私が見ているこの数年でも少しずつ「追えなく」なってはいる印象はある。毎年冬になると「もう歳だから寒さは堪えるのさ」と嘘か真かわからない「文男不調説」が出回るのも恒例となった。一方で同い年ながら南関東全体では格上の存在にあった石崎隆之騎手の現状や――まあ、息子の駿騎手に地盤を譲っていることもあるけれど――、佐々木竹見よりも速いペースで6000勝から6500勝を挙げたことを考えると――文男は3年、竹見は4年それぞれかかっている――、やはり超人的な水準と言わざるを得ない。希に中央競馬のファンから騎乗数の違いを理由に地方騎手の勝数の評価を下げる声を聞くことがあるが、逆に言えば南関東についてはかつてはほとんど365日、近年でも週5で毎日のように乗り続ける過酷な環境下でコンディションを維持し続けなければ、この領域に到達することはできないのである。そこには天から与えられた才能もさることながら、なによりも不断の努力の積み重ねがあったのだろう。そう考えた時、ふとその前日に読んでいた、イチローの日米通算4000本安打達成後のインタビューが頭に浮かんだ。

─その1本1本の積み重ねが4000に繋がった

「4000を打つには、3999本が必要なわけで、僕にとっては、4000本目のヒットも、それ以外のヒットも、同じように大切なものであると言えます」

─フィールドに立つ前の準備をきっちり積み重ねてきた

「それは当たり前のことですよね。それにフォーカスが行くこと自体がおかしいと思いますけど。それがあまりにもない、ということじゃないですか。それを証明しているんじゃないですか」
(中略)
─昨日の三盗、今日のファウルのスライディングキャッチ。走ること、守ることがきっちりできている状態をキープしたまま稀な数字に到達したことについていかがですか?

「そもそも僕は学生時代にプロ野球選手というのは打つこと、守ること、走ること、考えること、全部できる人がプロ野球選手になるもんだと思っていたので、今もそう思ってるんですけど、実はそういう世界ではなかったというだけのことでね、それが際立って見えることがちょっとおかしいというふうに思いますね。さっきの話とちょっとかぶりますけど、僕にとって普通のことですね。そうでないといけないことですね」

─普通のことを長くキープする選手が少なくなっていく中で今日という日を迎えたことは?

「だからそういう年齢に対する偏った見方というのが生まれてきたんでしょうね。そういう歴史が、気の毒と言えば気の毒ですよね。そういう偏った見方をしてしまう頭をもっている人に対してお気の毒だなあと思うことはあります」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130822-00000214-mlbjp-base

 プロフェッショナルの世界において、実力の衰えた老兵がただ去りゆくのみというのは当たり前のこと。よってプロである以上は決して衰えてはいけないのだ、というあまりに厳しすぎる、現実離れすらした職業倫理。まあ、ここまでストレートかつ挑発的に表現するあたりはじつにイチローらしいところである。一方で文男さんは「自分が歳とともに衰えている」ことには自覚的だが、まだまだプロとしてはやれる水準にあると考えている。そして普通ならとっくに引退しているはずの年齢でそう思わせるのは、現実に動けているという事実そのものよりは、こういう場合はそのためにどれだけ努力を積み重ねてきたかという、自負の方が大きいのではないですかね。まったくタイプが違う二人だが、どちらからも当たり前のことをできるように、当たり前に努力し続けることの重さを知る凄みを感じさせてくれる。いやはや、怠け者かつ注意散漫症候群の私としては、どうにも穴に入りたくなりますね、はい。いや、ほんとに凄いもんですねなぁ。やはり、勝負の世界で偉大な記録を打ち立てる人は、それ相応の理屈がある。


右は佐々木竹見元騎手。手ブレブレなのが申し訳ない……
 そして、6500勝を達成した4R直後の第5R。本馬場入場でラチ沿いを通った文男はファンからの声援を一通り浴びると、返し馬でぐるっと一週。再びゴール前に戻ってくると、まるで馬場を踏みしめるような調子で、ぐっと気合いを入れてから再びスタート地点へと向かっていった。35000戦6500勝の次、35001戦目のレース。的場文男騎乗・4枠5番カネショウシルク。6番人気から差しきって見事に1着。記録を達成して吹っ切れたのか、久々に「らしい」騎乗を見た気がした。的場文男の勝負は、まだまだ終わりそうにはない。