忘れられた競馬雑誌『競週地方競馬』を読む(3)

2, 定期連載記事
 『競週地方競馬』の構成は、大きく分けて毎号掲載される定期連載記事と、時事性の強い内容を取り上げる特集記事で構成されている。とりわけ特集記事のうち、巻頭で取り上げられ大見出しが使われるものは「○大特集」として表記されていた。
 正式なコーナーとして連載されたものには、「蹄声耳語」「東西南北」「News or Not 」「観戦記」などがある。まずは、こうして定期連載化された特集を見ていきたい。

(a)蹄声耳語
 冒頭で取り上げたとおり巻頭コラムであり、1ページ目の上半分に設けられた(下半分は目次)。基本的には時事的な事柄を核に競馬に関する意見表明をする形式を取り、年初1月号は特に「年頭の辞」として、日本競馬界全体に対する提言が行われるのが通例であった。基本的には良い意味で批判的ジャーナリズムに徹しており、JRAや地全協、各自治体の主催者に対して肯定的な評価が述べられることはまずない。その内容に関しては、第2章で詳しく取り上げるのでここでは触れない。

 おそらくは雑誌の創刊時より存在したと思われるが、年度の代表馬が確定した際やダービー・東京大賞典などのビッグレースの後には、替わって優勝馬の写真が掲載されることもあった。そのため、必ずしも全号に載っていたわけではない。原則として無署名だが、ただ一度だけ(S.S)というイニシャルの署名が添えられていたことがある。これが、オーナーの白井新平氏を指しているのはまず間違いない。その他の号も、全てまたは大半が氏の筆によるものと考えられる。

(b)レース展望・観戦記
 競馬を扱う雑誌として、レースの予想情報の提供と回顧は欠くことはできない。とはいっても、月刊という雑誌の性質から予想情報の精度を高くすることは難しかったのだろう。「今月の重賞レース」というコーナーがあるにはあったが、内容は過去の当該レースの成績と、出走予定格馬に対する一口コメント程度のものだった。ただし、たとえ小さくとも馬の写真は数多く載せているところは良心的と言えばそうか。この「馬の写真がやたらと多い」というのは、雑誌全体を通じて見られる特徴のひとつである。当時の南関東競馬の所属馬なら上級クラスであっても月に2〜3度は平気で走るので、現実問題として馬柱を載せることもできない。例外は春の鞍(東京ダービー)と秋の鞍(東京大賞典)、この2レースについては巻頭特集に組み入れられ、トラックマンによる見解や有力馬の調整状態、前評判などが詳細に語られている。

 観戦記も形式は同じで、ゴール入線直前と口取り式は、まず毎号きちんと写真を載せている。重賞1レースにつき1ページのスペースがとられているため、文章の方も毎号なかなか読み応えがあった。戦前の前評判から騎手など関係者の言葉を交えつつ、それでいて荒れたときなどは、ファンの目線でしっかり驚嘆してみせる。なにより、有力馬の敗因を探る姿勢が感じられるのが、現行の競馬雑誌にはあまり見られないだけに新鮮だ。

 本文最後には、たいてい優勝馬の血統紹介が添えられている。現在の『優駿』でみるようなブラッドタイプ付きの本格的なものには劣るとはいえ、生産者や母系近親の走りを知ることができるというのは面白い。これは後述の「ステークス・ウイナー」へと発展していく。

(c)ホームストレッチ・ステークス・ウィナー
 ホームストレッチは、1963年4月号から数年間に渡って毎号掲載された。同名・同内容の連載が『競馬週報』にも存在している。内容は上記の観戦記では収まらなかった重賞出走馬関係者の談話やインタビューを、見開き2ページにわたって掲載していた。馬だけでなく人の顔写真が載せられており、若き日の佐々木竹見なども見られてなかなか楽しかったのだけれど、いつのまにか姿を消していた(いつなくなったかは再度調査予定)。

 ステークス・ウィナーは「観戦記」とは別枠でページを割き、重賞勝ち馬の血統を詳しく解説するというもの。1966年11月号より掲載が開始され、まれに載らないこともあったが概ね最終号まで連載は続いた。返し馬時の写真と3代血統表が載せられており、父馬と母馬の現役時代の戦績から種牡馬としての傾向、近親馬の情報までをおおよそ1頭につき1ページ使って取り扱っている。こうした「本格血統派」という要素も、当時の啓衆社の特徴だろう。

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<参考画像>

1961年・春の特別(のちのアラブダービー)展望。勝ったのは伏兵エロルデ。

1966年東京ダービーのトラックマンによる伏兵特集。この年からレース名が東京都ダービーから変更され、翌年より距離も2000から2400に延長された。

・この年から南関東競馬初のファン投票レースとして新設された報知オールスターカップの観戦記。勝ったオリオンホースは翌年のこのレースも勝ち、連覇を達成している。

・1963年9月号の「ホームストレッチ」。ご存じ鉄腕・佐々木竹見騎手、出川克己調教師の父で「コトブキ軍団」を擁した出川巳代造調教師、のちに調教師としても長く活躍した松浦、赤間両騎手など層々たるメンツが並ぶ。

・1969年の南関二冠馬ヤマノタイヨウを取り上げたステークス・ウィナー

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