フリオーソとボンネビルレコード

 フリオーソボンネビルレコードの、長かった現役生活が終わった。

 この両頭には、南関東競馬ファンなら誰もが大いに語るところがあるだろう。だが、私自身はその筆力のなさから、うまい具合にそれを表現することができそうにない。一時代の終わりに立ち会う悲しみもあれば、買ってないときに限って大金星をあげ買うと当たっても安いときばかり、という悔しい思いがよみがえってくるところもあり。ボンネはもっと早くも引退できたはずだろう、よくまぁこれだけ走ったもんだ。中央から出戻ってきたときはすでに、まだやるのかと思ったもの。まあ、それでも10歳だってしぶとく掲示板まで延びてくる、その走りにはしみじみと心打たれた。フリオーソよ、今年はご無沙汰で寂しかったよ。テンは十分も終いは休み明けの部の悪さ、川崎記念に出てきたら絶対の本命視だけれどどうだい?なに、相手だってエスポあたりの見知った顔、今のダート戦線なんてだいたいそんなもんなんだから、脚の具合さえ大丈夫ならまだまだ続けてもいいんですよ。

 ともあれ、地方競馬史に残る名馬が競馬場を去っていく。いや、ボンネビルレコード誘導馬として残るんだな。まあ、2000年代前半に競馬場がバタバタと潰れ、賞金の減額にレベルの低下。まったくもって地方競馬に明るい話題などありゃしない、という時にわれわれ全国1000万地方競馬ファンの希望を担ってくれたのが、アジュディミツオー(トーシンブリザードシーチャリオットは残念だった)から始まる、南関東古馬の交流G1戦線での戦いぶりであったことは間違いない。彼らがここまで長く現役を続けてくれたのも、その身に背負っている責任の重さ、地方代表としての立場を理解していたからだ、といのはいささか都合がよすぎるか。にしても、周囲の人間は当然それを意識していたはずで、戸崎騎手をして「かしわ記念で地元でG1を勝てたのが一番嬉しかった」というのは、「地のもの」という意識がすっかり失せて久しい中央競馬をみるにつけ、なかなか感動的なお話である。

 さて、一方で彼らのラインを受け継ぐクラシック・ディスタンスのスターホースは未だ現れず。そもそも、兵庫も岩手も東海も、全国レベルの駒となると小粒に、数も少なくなっている傾向が心配である。交流元年よりはや十数年、ライデンリーダーがしょっぱなにぶちかまし岡田総帥の酔狂に支えられてコスモバルクが気を吐いたほかは、地方側の守勢はほぼ一貫している。金沢と高知が比較的頑張りを見せているとはいえ、いよいよ抵抗すらできなくなりそうな昨今の情勢。今回の大賞典が、中央馬の掲示板独占に終わったことは不吉な予兆であるようにも思う。が、それはまた別の機会に論じるとしよう。

 今夜はただ、フリオーソボンネビルレコードに感謝を。今までほんとうにお疲れさまでした。