笠松競馬観戦記

 本業が一段落ついたら、笠松グランプリを見に行こうと決めていた。もともとは中央との開放元年以前から存在した貴重な全国交流競走にして、のちには統一GⅢ格となった全日本サラブレッドカップ――後発の金沢のサラブレッドチャレンジカップは、もうちょっとレース名がどうにかならなかったのか――が前身なのだが、レース体系的にはそれほど重要視されているとも思えなかったこのレース、実際に東海菊花賞の方が例年メンツが揃う印象だった。それが昨年から突如1着賞金がそれまでの300万円から3倍以上となる1000万円に大幅引き上げられるという、大盤振る舞いがなされたのである。1000万円の大台を出す競走となると、南関東を除けば全国的にもホッカイドウ競馬道営記念に持ち回りのオッズパークグランプリ、そして同じく昨年から突如としてファン投票まで始めた園田金盃くらいのもの。そしてこちらは他地区馬が出走可能な全国交流での開催ということもあり、エスワンプリンスとウルトラカイザーという佐賀競馬出身の両雄に、元笠松で短距離ならかなりの実力を誇るアウヤンテプイ、そして盛岡芝での完勝後に敢えてJBCではなくこちらに照準を合わせてきたナターレ、と登録段階から非常に面白いメンツが顔を揃えた。まあ、いつまでこの賞金を維持できるのかもわからんことだし――実際、園田金盃は今年はもう賞金減額――、また笠松自体がここのところラブミーチャンの引退とその主戦騎手濱口騎手の急死、そして馬の脱走からの死亡事故と悪い巡り合わせが続いていたのも気にかかった。何度も近くを通りながら不思議と縁がなかった競馬場だが、さてさて実際はどんなもんかと、行く気が沸いてきた次第。

笠松駅からは、線路の下をトンネルでくぐる。
 オグリキャップと安藤克己を筆頭に幾多の優駿・名人を輩出し、全国へその名を轟かせた笠松競馬場木曽川の河川敷に身体を丸めるようにしてどうにか納まっている、小さな小さな競馬場だ。名鉄名古屋駅から、ガラガラの特急に乗って30分ほど。ひときわ長い橋を渡りきったと思ったならば、もう列車はすぐに笠松駅へと滑り込んでいく。この日は10時過ぎに到着、競馬場も開門こそはしている時間だが、11時半の第1レースの時間にはまだまだ早い。そこで、競馬場のまわりをふらふらと散策してみることにする。もっとも花の一輪でも持ってきているわけでもなく、あまり好奇心に任せてあの事故の現場を荒らすことは控えるべきであろう。それでもせっかく来たことだし、その周囲の様子ぐらいはせめて知っておきたかった。

競馬場は堤防で周囲の住宅街と隔てられている(ちなみに競馬場は右側)。堤防上の道路では、ちょうど街路樹の紅葉が見頃を迎えていた。

堤防の反対側は、国道を挟んでのどかな住宅街。馬への注意を呼びかける標識も見える。

住宅街内にある馬道。

誘導馬(?)。乗馬用かも。

堤防を馬が越えるためのダートスロープ。

 都合30分ほど歩いたわけだが、下の道路はそれなりに交通量が多い。またあの事故のあとということもあり、馬が通るだろう場所には片っ端から警備員が張り付いていた。なので、あまり写真を撮るのも憚られ。静かな住宅街の中にときたま馬房や馬道が現れるのは、まあそれでもなかなか面白い光景ではあったか。こういうのは、競馬場がある光景という気がしますね。

 さて、いい加減疲れてきたので競馬場の入り口へと戻る。公営競技界隈ではお馴染みのコインゲートに100円玉を投入し、颯爽と場内へ入ってみると……ん、どこかでちょろちょろと水が流れているな。どうやら、スタンドの下に用水路かなにかがあるらしい。少し歩くと、今度はじゅぅじゅぅという音が聞こえ出した。売店の店先で、おばさんが焼きそばを焼いているのだ。なかなか美味そうな匂いである。そしてコースの方に出たならば、突如カンカンカンカンと規則正しい聞き覚えのあるあれが。しかしなぜ競馬場で?と4コーナーの方を振り向くと、スターティングゲートのすぐ後ろはもう線路になっている。そしてそこをさっき乗ってきた名鉄名古屋線の列車が、大きな音を立てながら通過していくところだった。

 とまあ、これらの雑音がはっきりと耳に届いてしまうほど、場内がおそろしく静かなのである。第1レースの発走前ということは当然差し引く必要はあるし、もちろんまったく人がいないというわけではない。しかし、この本場の冷え込みは高知以来の衝撃だった。そういえば、名古屋競馬場も決して場内が賑わっている方ではなかったな。これだけ交通の便がよいことも併せると、東海の地方競馬は全国でも最低レベルの動員力と言わざるを得ない。笠松・名古屋は2000年代半ばまで、全国でもかなりの強豪を輩出していたのだが……このご時世、競馬の人気を高めるのはほんとうに難しいものなのだなぁ。

住宅側にある駐車場から、競馬場へ至るための階段。幕こそ古びているが、造花はきちんと新しかったのが好印象。

堤防から正門を見下ろす。

当然ながら、電車は発走前で馬がゲート内にいる際にも問答無用で通過していく。

場内スタンド裏。

場内スタンド正面。ちなみにこれはメイン前。ターフビジョンがないので裏で見る人が多いことを差し引いても寂しい。

正門脇にあったオグリキャップ像。一輪の献花は、職員さんがやっているのだろうか?

正門に掲げられていた騎手一覧。すでに濱口騎手の名はなかった。
 しかしながら、そんな笠松競馬場に集っている僅かなファンだけのことはある。そこにいるほとんど全員がまるで30年選手といった雰囲気で、玄人の風格を持ち合わせているのである。とにかく、無駄な動きはいっさいない。レース中もやたらと騒ぐようなこともせず、じっとレースを見つめては、払戻へと散っていく。そして口数少ない中で話している内容も、耳を澄ませて聴いてみるとじつに立派なものですよ。「賞金1000万っつうたってよ、どうせ余所の馬が持って行っちまうんだろ。それで1億とか売れればいいけどよぉ、そうじゃねーならこんなんいらんわ」なんてまともなことが、競馬場の灰色のおっさんから聞けるとは思わなかった(超絶失礼)。予想の方だって、あの日の馬場はどうだのいやあのレースの時計は駄目だだの、なかなかに高度なことをやっている。とにかく戸崎か文男を買っとけばいいものと合点していたような南関東のおっちゃんらとは、競馬リテラシーの格が違う。

 というわけで、そんな大先輩方ばかりの中、ぽっと出の若造である私がろくに儲けられなくとしても、それはごく自然なことなのだと言わざるを得ない。これは客同士の殴り合いとなる、パリミュチェル式競馬が抱えている宿命なのである。決して私が下手なわけではない……しかし、このままでは豊橋から帰りの新幹線代も残るか怪しいぞ。そうなるとどこかでコンビニのATMに駆け込むか、はたまた全線を各駅停車で乗り通すか。どっちにしろろくなものではない。まったく、いったい誰が悪いのだろうねこりゃ。

笠松は名古屋(富士通)と異なり、発券機には高知などと同様に日本トータを使用。1枚に2券種を収められないのがちょっと不便。

地味に場ごとに色が異なるマーク用の鉛筆。笠松はピンク。

暖房が入っていた休憩所内。そこそこの賑わい。

場内にあった「勝運稲荷」。鳥居が老朽化しているため、隣の飲食店で寄付を募集していた。

佐賀の「葉隠れ右回りパドック」と並んでよく取り上げられる、笠松の「内馬場パドック」。コースの向こう側にパドックがある。コース幅が狭いからなんとかなるが、昔は八百長と騒がれたりはしなかったのだろうか。写真はメインに出走、二頭引きのエスワンプリンス。
 となると、なんとしてもメインの笠松グランプリで儲けて帰りのアシ代を確保しなければなるまい。一番人気は中央準OPでから転入緒戦のエーシンジェイワン、まだまだお釣りがあるうちの地方入りだし、伊藤強一調教師も大きいところを狙えると強気のコメントを出している。だが、さすがにオッズが低すぎる。となると逆転の穴をどこからか探さねばならないが、エプソムアーロンを買うなら南関時代からしてコアレスピューマ、しかしこちらも超短距離戦ならともかく1400では終いが甘くなりそうだ。ヤサカファインは輸送後の馬体重が−27kgでは論外、とすると残るはエスワンプリンスかナターレか……エスワンプリンスが2月のオッズパークグランプリで敗れたのは、ラブミーチャンとナイキマドリード。どちらも統一グレード競走クラスの馬だけに、まだまだ底は見せていない。この相手ならまだいける、そしてオッズも3倍代半ばとそれなりだ。手持ちで使えるだけをありったけを、単勝一点に突っ込むこととした。

まあ、当たったからよかったが。ちなみに、彼は遠征先でないと馬体重を量らせてくれない気性の持ち主である。
 ふぅ、なんとか一息。そして九州男児らしい朴訥とした鮫島騎手のインタビューを見終えたあと、最終のパドックを眺めてみる。このレースの中心は、なんといってもトウホクビジン。これで133戦目、地元ではイマイチ良績を挙げられずにいるとはいえ、春先にシアンモア記念を勝っていることを思えばここでは絶対的な格が違う。展開的に逃げる可能性も高いが、今日の場場ならそれこそ苦労せず勝てるはず、とまるで鉄板のように思えてならない。しかも単勝オッズは直前で4倍近くついている……これは買いだと、これまた単勝でそこそこの額(笠松基準)を張り込んだ。

同じようなことを考えたやつがいたようで、最終オッズは2.2倍だった。
 さて、旅打ちに来ては珍しいことに、そこそこ浮かせて家路につくことができたのは個人的にはなによりだった。そして大変自分勝手ではあるのだけれど、ただそれだけでなんとなく、その競馬場へも愛着が沸くものである。場内の雰囲気は決して先行きが明るくはなかったが、その分今競馬場に残っているのは、ファンにしろ関係者にしろ笠松の競馬を大いに愛している方々ばかりだ。ひとまず休催分の穴を乗り越えて来期の存続を決めることが先決として、あの木曽川河川敷のダートコースで、いつまでも馬の走る音を響かせ続けて欲しい。そしていつの日か、またいーい馬を全国区へと送り込んでくださいな。そんな不安と期待を胸に秘めての、各駅停車「こだま」の帰り道でありました。